元大学院生のノート

心と口と行いと研究で

村上春樹 ダンス・ダンス・ダンス

踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。

今回はずいぶん前からいつか文章にまとめたいと思っていた本についてです。その本とはタイトルにあるように村上春樹ダンス・ダンス・ダンスなのですが、一年に一回は必ず読むほどお気に入りの本です。ただ自分がどうしてこれほどこの本に惹かれるのか、ということは自分でも不明なのでそんなことを考えながら、本書についてまとめていきたいと思います。
 
あらすじ
 
この本は村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」、その続編である「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」の主人公である「僕」の物語です。前作の「羊をめぐる冒険」で親友の「鼠」や美しい耳の彼女などを失い、それとともに主人公は心の震えをも失ってしまいました。そして本書はそんな主人公の「僕」がダンスステップを踏みながら、様々な人と出会いながら、様々な場所に行きながら、様々な喪失と絶望の世界を通り抜けながら「繋がり」や「心の震え」を取り戻す物語です。
 
登場人物
 
本書は「僕」が物語中で関わる人物が、「僕」を次のステップへと導く重要な存在となっています。そんな人物たちについて書いていこうと思います。
 
羊男
羊男は前作の「羊をめぐる冒険」で登場した、人間世界で生きることを捨てた羊の姿をした男です。本書では、「僕」が繋がるための配電盤のような役割をしていますが、「僕」のために具体的に何をしているのかは明記されていません。それは、ここからは私の考察ですが、羊男が「この世」には存在せず、「僕」の無意識を象徴した存在であるからだと思います。
 
キキ
こちらは前作の「羊をめぐる冒険」で登場・失踪した、美しい耳の彼女です。本書はキキを探し出すために「僕」が札幌へ向かうことから物語がスタートします。
 
五反田君
「僕」の中学校時代の同級生であり俳優です。キキの失踪後、映画でキキと共演していました。
 
ユキ
「僕」が札幌のホテルで出会った13歳の少女です。人の頭の中に存在する”思いを作り出す力”のようなもの(残留思念?)を感じてしまう能力があります。この能力ゆえにユキは他人に心を閉ざしながら生きていますが「僕」とは馬が合い、しばらくの間、行動を共にします。
 
アメ
ユキの母親であり写真家です。おそらくユキの能力はアメ譲りであり、アメはその能力を写真に向けることで有名な写真家になりました。ADHDっぽい。
 
牧村拓
ユキの父親でありアメの元夫。作家だったがアメとの結婚やユキが生まれたことで、ものを書く力がなくなってしまいました。キキが所属していたコールガール組織の常連です。
 
ユミヨシさん
「僕」が泊まった札幌のホテルで働く女性。羊男の存在する世界へ迷い込むなど「僕」と奇妙な繋がりをもっています。
 
ドルフィン・ホテル(いるかホテル)
 
記事中で何度か登場した"札幌のホテル"です。「羊をめぐる冒険」で登場し、物語の展開で重要な役割なもっていた、いるかホテルの跡地に建てられたホテルです。ちなみに名前が若干引き継がれているのは偶然ではありません。本書では、「僕」の繋がりの中心、という重要な役割をもっています。
 
「僕」を特徴づけるセリフ
 
本当にいいものはとても少ない。何でもそうだよ。本でも、映画でも、コンサートでも、本当にいいものは少ない。ロック・ミュージックだってそうだ。いいものは一時間ラジオを聴いて一曲くらいしかない。あとは大量生産の屑みたいなもんだ。でも昔はそんなこと真剣に考えなかった。何を聞いてもけっこう楽しかった。若かったし、時間は幾らでもあったし、それに恋をしていた。つまらないものにも、些細なことにも心の震えのようなものを託することができた。僕の言ってることわかるかな?
(上) P. 233
ユキとのドライブ中に、音楽を聞いても昔ほど感動しなくなった理由をユキから聞かれたときの「僕」の答えです。ここでの心の震えの対象は音楽ですが、おそらく「僕」は音楽以外のあらゆることに対して心の震えを託せなくなっていると思われます。
 
そんなつまらないこと忘れなよ。学校なんて無理に行くことないんだ。行きたくないなら行かなきゃいい。僕もよく知ってる。あれはひどいどころだよ。嫌な奴がでかい顔してる。下らない教師が威張ってる。はっきり言って教師の80パーセントまでは無能力者かサディストだ。あるいは無能力者でサディストだ。ストレスが溜まっていて、それを嫌らしいやりかたで生徒にぶっつける。意味のない細かい規則が多すぎる。人の個性を押し潰すようなシステムができあがっていて、想像力のかけらもない馬鹿な奴が良い成績をとってる。昔だってそうだった。今でもきっとそうだろう。そういうことって変わらないんだ
(上) P. 393
中学校でいじめられ不登校になったユキに対しての言葉です。「僕」は高度資本主義社会に対して多少の険悪感を抱いています。「僕」は資本主義社会や学校など、個人のシステムが無視され犠牲になる世界に馴染めていません。
 
僕の言っていることは、大抵の人間にはまず理解されないだろうと思う。普通の大方の人は僕とはまた違った考えかたをしていると思うから。でも僕は自分の考え方がいちばん正しいと思ってる。具体的に噛み砕いて言うとこういうことになる。人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に
 (下) P. 239
作中のある人物の死に対して、今までの自分の振る舞いに後悔を抱くユキに言った言葉です。これまでに様々な死や喪失、絶望を経験してきた「僕」らしい言葉であり、「僕」が他人に対して誠実に接してきたことが覗えます。
 
以上のセリフから「僕」は芯をもった人間であることがわかります。しかし、その芯が社会や他人との間に隔たりを作り出していることも否定できません。それに加え「僕」は、奇妙な出来事に巻き込まれ、その度にいろんなものを失ってしまう「傾向」を持っています。*1そんなふうにして無意識に解いてしまった繋ぎ目を取り戻すために、「僕」は残されたわずかな繋がりをたどっていきます。
 
まとめ
 
結局のところ僕が本書に惹かれる理由は、僕自身が感じる”社会やコミュニティと自分のズレが生む孤独”を「僕」にも感じることができるからだと思います。そして、孤独や社会に翻弄されながら、この世に留まり繋がるために必死に生きることが本書におけるダンスなのです。
 

 

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 文庫
 

 

*1: (上) P. 181